interview

OBA

猛暑が続く8月初旬、ここ湘南鎌倉から新たなダンスムーヴメント[KAMAKURA DANCE FESTIVAL]が誕生しました。
そこで、今回のLFインタビューは主催のOBAさん(以後O)にお話しを伺ってきました!!

「まずは、自己紹介をお願い致します。」

O「OBAです。1986年4月1日 鎌倉市腰越生まれHIP HOP育ち、兄の影響で中3のときにロックダンスを始めました。早くも高校生の頃にロックダンスの限界を感じアニメーションを始め、その高校生の頃に同世代で練習していた仲間は今でいうとタケル※カミジョウタケルとフィッシュ※FISHBOYとかで今思うと何だか不思議な感じがします。

高校生の頃は、パン屋さんを本気で目指していたのでドイツにあるホテルの就職も決まりかけていて、あと少しで無事パン屋となり職人としてホクホク生きていくことができたのですが、その当時、立川のドコモ前という練習場がとても賑わっていて素晴らしいダンサーが皆集まっていました。その影響でパンよりもダンスのことを考えることが増え、知らない間にダンスに没頭していました。そこで製菓学校の恩師が「お前はパンとダンス、どっちが狂えるのか?」と聞かれ、それは狂ってるのはダンスですよって答えたら凄く怒られました。そしてドイツ行きをNY行きに変え、NYのBroadwayDanceCenterに留学することになりました。

その当時、ISVPという留学制度では30人ぐらいの海外からの生徒が集まっていたのですが、たまたま同期には男が僕一人で、、、必修であるバレエも初めてだし、レオタードなんてのも初めてだし、もうNYに来たことを本気で後悔しました。しかし、たまたまBDCにSoulFireという黒人男性がPOPを教えているというので、少しPOPはかじっていたので習いに行きました。そのSoulFireという謎な男が、POPのパイオニア[ElectricBoogaloosのJazzy J]でした。彼との衝撃的な出会いで今までのPOPの概念は吹き飛び、POPにのめりこむことになりました。

そして、当時地下鉄の2番線の終点であるBrooklynの端の端に住んでいて、マンハッタンまで二時間かけて通ってたんですね。その二時間の間で沢山の黒人と出会うんですけど、これがまた黄色人種差別が半端ではなかったんです。これで僕は黒人文化であるストリートダンスをやりながらも、黒人たちにいつか見返してやるという闘志を抱きました。ダンスバトルではガリガリな僕でさえダンスが上手ければ黒人を負かすことができるんですね。それが快感でバトル中毒みたいになり、もうダンスを通して黒人を倒すことしか頭にありませんでした。そのような姿勢ですからバトルでも優勝することが増えてきて、天狗になってるときにLAにいる[TOSHI]という日本人男性の名前を耳にするようになってきたんです。それで、彼の動画を見たときにショックを受けまして、めちゃうまいんですよ。それで、いや、そんなはずがないと(笑)その夏LAでB-BOY SummitがあったんでTOSHIを見れるかなーと思いつつもLAに飛んだんですね。そしたら、そのバトルが僕の2年半のNY生活最後のバトルだったんですが予選落ちしまして・・・NYに来てから予選落ちしたことなかったのに、最後のバトルで予選落ちして死ぬほどショックを受けてるときにTOSHIは2on2バトルで優勝してまして・・・それはもう思い出しても少し頭痛するぐらいショックすぎる日でした。

そして、その年の9月に日本に帰国したのですが、たまたま同じタイミングでTOSHIも帰国してるらしいとの噂を聞きmixiでメールを送り、新宿の安田で初めて話しをしました。TOSHIやTAKAなどの初めてのダンス仲間として初のポッピングチーム活動を始めてからダンスへの概念も変わってきてストリートダンスは「楽しむ」それに尽きると確信しまして。

確かにバトル文化もありますが、それ以前に[音楽を聞き踊りあっていた時代]があり、その根源はパーティカルチャーです。[ストリートダンスは楽しむものなんだ]とポップを始めて数年経った後に初めて気づきました。そこからストリートダンスシーンで飯を食ってたんですが、23歳頃に、この楽しむが根源であり、それ以上でもそれ以下でもないこのカルチャーに僕は今世生涯を費やすのか・・・もっと、もっとダンスを追求したい・・もっと精神面諸共含めたところで身体表現としてのダンスと向合ってみたいと思えば思うほど、ストリートダンスを踊ってるときに何とも言えない空虚感みたいな虚しさと共に踊ることが増え、本当にくだらなくなってしまったんです。自分の元々好きだったことが仕事になり、それが次第に虚しくなるほど悲しいことはなく、その当時は鬱みたいになってしまい、オーストラリアに遠征しに行くことにしました。

オーストラリアではストリートパフォーマンスでかなり稼ぐことができたので、そのお金でインドとネパールなどを周り、世界を身体で感じてみたいという欲求が充たされたので日本に戻りました。

日本に帰国したときに、木場にあるギャラリーのオーナーさんから連絡があり、紹介したい人がいるから何かしらコラボレーションしてダンス作品をつくってくれないか??という依頼がありました。その時に紹介してもらった人というのが元Noismメンバーの[高原 伸子]さんで、僕はNoismの作品でのNinaに凄く影響を受けていたので、色々お話を伺ったところ、ダンスへの向き合いかたが今までどれだけ浅く、生涯費やしても辿りつけない世界がダンスにはあると確信しまして、ダンスの世界に戻ることを決意しました。そして、その後、舞踏家の[笠井 叡]さんとの出会いで、僕のダンスと共に生きることへの確信は間違いないものになりました。70歳を超える人間が自分よりも動けていて、且つそこから生み出される根源エネルギーの強さに完全に打ちのめされました。

そして現在、身体1つでなりたつ芸術表現であるダンスと全身全霊で抱き合ってるような感じです。」

「それでは、KAMAKURA DANCE FESTIVALを始めた経緯を教えていただけますか??」

O「あ、はい。それはやはり鎌倉出身であることが一番です。現在では鎌倉に拠点を置きつつも、結局都内と鎌倉を行ったり来たり。しかしながら鎌倉出身舞踊家として、ここ鎌倉から全国・更には世界に向けた身体表現の発信をしていきたいと考えました。鎌倉の素晴らしさをダンスと共に発信することが故郷鎌倉への貢献にもなりえるし、鎌倉がもつ芸術文化に対するポテンシャルの再認識にも繋がると確信し開催を決意しました。」

「内容はどのようなモノになるのでしょうか??」

O「時代の先端を体現する舞踊家と歴史ある地 鎌倉が重なる「鎌倉ならでは」のダンスフェスティバルとなります。なぜ日本舞踊とかフラとかストリートダンスとかが入ってないかといいますと、歴史ある地の極地にあるものは、この瞬間生み出されている“今”のダンスだと思い、極地にあるものの融合により新たな、且つ鎌倉ならではの舞台芸術を表現できると思ったからです。

出演者は普段、新国立劇場などでも活躍する日本を代表する舞踊家が集まっています。その肩書き以上にダンスクリエイションに対する姿勢からダンスそのもの素晴らしさ含め、一ヶ月の期間とはいえ3公演に厳選しました。そして舞台会場は円覚寺 佛日庵となり、時代の先端を体現するダンサーと歴史ある地 鎌倉が重なる「鎌倉ならでは」のダンスフェスティバルが実現します。」

「なるほど~。では今回が初開催となるわけですが、OBAさんが押したい見所を教えてください。」

O「やはり「ダンスと鎌倉の融合」ですかね。元来歴史上から見れば、お寺で踊ることは極自然な在り方なんですが、現在では風営法も含めダンスそのものに対するイメージも没落している中、本来ダンスは[神事]であり[心の開放]のシンボルであったことへの再認識をお寺を舞台にすることにより、一人でも多く本当の“踊り”との出会いを繋げたい。

それは現代にとって必要なのではと思うことなんですが、“自分自身をしっかり開放してあげること”

今回のダンスフェスティバルのダンス公演を通して、人々へ本来のダンスをお届けすることが今の時代にとっても重要なことであり、ダンス社会含めた全社会が少しでも良い方向へと向かうキッカケとなれたらと切に願っています。」

「鎌倉ダンスフェスティバルの目標・今後の展望を教えてください。」

O「鎌倉ならではとは、海外から見た場合、日本ならではといっても過言ではありません。
来年、ヨーロッパを中心にダンスツアーがあるのですが、その時に今回のダンスフェスティバルのDVDを配布して一人でも多く日本ならではのダンスフェスティバルを、即ち日本の素晴らしさとダンスとの融合を伝えていきたいと思っております。この時代だからこそ、日本を再認識する必要があると思うのと同時にそれを海外に責任もって伝えていくために海外に出なければいけないとも思っています。

2015年のダンスフェスティバルでは日本人の出演者のみ限らず、海外勢も参加できたら最高だと思っています。また、来年の構想なのですが来年こそは“鎌倉舞踊団”を立上げたいと思っています。出演者は鎌倉市民。ダンス未経験者優先。演出・振付けは僕がやります。

鎌倉市民である出演者の本来もつポテンシャルを見極め、その人自身しか成し得ない表現を生み出し、その人自身が舞台に
立った瞬間“その人そのものが作品”になりえるような演出を考えたいと今から既にワクワクしています笑」

「最後に、読者に向けて一言お願いします。」

O「私は今、ダンスを生業としています。それも今まで色々ありましたが、それから振り返ると思うことがあります。
それは、好きなことを仕事にするのではなく愛せることを仕事にするということです。

好きなことを仕事にしても楽しいことだけということは絶対にありえません。仕事とは[社会と組み合ってこそ初めて代価が生まれる]からです。しかし、大変なことや本当に嫌になることがあってもツイツイ考えてしまうこと、そしてやはり続けてしまうこと。それは嫌な面も良いも面もまとめて受け止めることが出来る愛という姿勢がなしえることです。その愛せることを仕事にするとき、それは“使命”であり本来の意味で命を使うべき仕事になりえるのだと思います。

今回、そういう意味ではダンスフェスティバルを主催することも本来企画運営会社とかに頼めば大分楽かとは思ったんですが、やはり自分がダンスと鎌倉を愛してる分、全て自身が関わって成功に繋げたい。全てを含み命をこのフェスティバルに使いたいと思い、ウェブから紙媒体、収支から協賛、広報からクラウドファウンディングなど沢山の仲間に協力をもらいながらも必ず関わり、ベストな方向へ繋げていく、妥協は一切なしの姿勢で取り組むことができています。それも鎌倉とダンスへの愛がなすことなのだと最近つくづく思います。

なので、関わったみんなの愛の結晶である[KAMAKURA DANCE FESTIVAL]に是非一度お越しいただき体感していただきたいと思っています。そして愛のあるものごとに関わる人々が一人でも増え、この世が光さす方向へと1mmでも向かったら最高だと本気で思っています。」

KAMAKURADANCE FESTIVAL HP

http://kamakuradancefestival.com/

クラウドファンディング

http://iikuni-kamakura.jp/pj/IknA0000012

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